硝子作家の安土天平(あづち・てんぺい)さんは〈富山ガラス造形研究所〉を卒業後、飛騨高山の工房で精力的にガラス作品を作り続けています。
定番モノと呼ばれる100種類以上の花器や食器は、父・忠久さんやその源流にあたる〈倉敷ガラス〉の影響をつよく感じさせながら、天平さん独自の展開を見せることで、出品される度に高い注目を集めています。
そんな天平さんのガラス作品がどのように生まれているのか、魅力の源泉がどこにあるのかを探りに、なかなか見ることができない制作の現場へと伺いました。そこで見られたのは、理想の形を追い求めるため、時に硬く、時に柔らかく、ゆらぎ続ける天平さんの制作スタイルでした。
幼少期より、お父様がつくるガラス作品に触れられてきた天平さん。夏休みの自由研究で、忠久さんから習いながら吹き硝子をしたこともあったそう。
大学卒業後、門を叩いた〈富山ガラス造形研究所〉では、1点の作品に長い時間を掛けることに驚きます。たくさんの数をつくり続ける忠久さんの姿を見てきた天平さんにとって、一品の作品に長い時間を掛ける、いわゆるアート寄りの硝子制作はとても新鮮に映りました。
だからか、研究所在籍時には「キャスティング」と呼ばれる造形技法をもとにしたオブジェ制作に没頭します。これまでの硝子のイメージが大きく変わっていく経験だったのだそうです。
研究所を卒業し、飛騨へと戻った天平さんは吹き硝子にもまた新しく出会い直すこととなります。「余計なことを考えてる暇はないから、嘘もつけないです。ぜんぶが完成品に現れてしまいます。」と天平さんは言います。
そんな天平さん、実は大学で史学(歴史を研究する学問)を学んだ異色の経歴を持っています。「人間の物語そのものであるような歴史に高校生の頃から強く興味を持っていた」そう。ひとりの人間がどのように生きるか、そんな関心は、どこか「作家」と呼ばれるような人物への関心にも通じているように思えます。
随筆家・白洲正子が忠久さん宛に送った手紙には、「作品を作ってはいけませんよ」とあったそうです。つくった人の名前ではなく、使われている様子が先に、つよくイメージできる物。つまり忠久さんのなかにある「職人」仕事に光るものを見出していたのです。
数年を経て、天平さんはそんなやりとりにどのように応答しようとしているのでしょうか。一見すると、天平さんが研究所時代から今も並行して作り続けているオブジェ作品とは、相反するようにも感じます。
工程が決められた吹きガラスでも、「ちょっとタイミングがずれてしまって、作り損なったものの中から新しいものが出てくる」ことはあるのだそう。
熱されたガラスは細く伸ばされ、くるっと巻かれます。ほんの一瞬のうちに、取手がつけられ、ひとつのジョッキが出来上がっていきました。
「これまで数をつくる「職人」と一品の作品をつくりあげる「作家」は、対立するものだと思っていました。でも最近は、ちょっと考え方が変わってきました。自己修練や哲学という意味では(作家による)アート作品も(職人による)プロダクトも同じだと思うようになりました」。出来上がったばかりのグラスを眺めながら語る天平さんはどこか嬉しそうです。
ふたつのもののあいだでゆらぐ姿は、天平さん自身の制作におけるさまざまな面でも度々見られます。そこに共通するのは、ふたつの相反する物事をいったりきたりしながら、深く自己の内面に潜って、そこからすくい上げてきたものを作品に落とし込む。そんな厳しく、そして軽やかな制作スタイルでした。
開けた台地に茂る木立の中、ガンガンに音楽を掛けながら連日ひとり工房に立ち制作を続ける天平さん。孤独とは切っても切れないのでは、と質問してみました。こちらの想像を優しく受けとめつつも「作品を通じて濃密な関係を周りと持たせてもらっている」と小気味よい口調で応えてくれます。(天平さんの寡黙な印象からは意外にも、「口から生まれてきたんじゃないか」と言われていたのだそう。)
孤独と対話。吹きとキャスティング。職人と作家。硬さとゆらぎ。その両方で天平さん自身も常に揺れ動いている。作品そのものに宿った、動きさながらに、天平さん自身がゆらぎ続けながら理想の形を追い求める。暮らしにぴったりと寄り添う天平さんの作品は、そんなゆらぎ、めぐる過程そのものが形となったものなのかもしれません。
安土天平さんが出展される展示がおこなわれます
〈安土忠久・安土天平 ふたり展〉
日時:2024年7/26(金)~8/4(日) 9:30-17:30
定休:水曜日・木曜日
会場:ヒダコレ家具
〈オンライン展〉
日時:2024年8/5(月)~8/13(火)
開催期間中のホームページはこちら